推定10歳という年齢で、10本の刀の刈羽蝙也を倒し、剣心不在の中グレネードランチャーを持つ鯨波に1人で立ち向かった明神弥彦。明治11年の日本の子ども中では、トップクラスの剣客といえるでしょう。
そんな弥彦の元となった人物が、作者・和月伸宏。
弥彦はモチーフ云々と言うより、むしろ中学時代に和月が感じた「気持ち」が元になっています。
引用元:るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-1巻
るろ剣ワールドに登場できるなんて、まさに作者の特権。羨ましい限りです。
ということで、今回は和月先生について紹介していきます。
明神弥彦プロフィール
東京府出身。神谷道場に入門する前は、スリとして生計を立てる。剣心たちと出会ってから、士族の心を取り戻し剣の腕を磨き始める。
口が悪く生意気ではあるが、弱き者を助けずにはいられない心優しき少年。元服を迎えた15歳のとき、剣心から逆刃刀を譲り受けた。
明神弥彦のモデルとなった人物は作者・和月伸宏
弥彦のモデルとなった人物は、中学時代の和月先生です。
画像を見ていただいた通りですが、弥彦に似ていませんよね。
というのも、モチーフにしたのが和月先生の内面だからです。
和月先生は中学生のとき、剣道部に所属。“強くなりたい”という一心で、毎日クタクタになるまで竹刀を振り続けていたとのこと。この気持ちが、必死に稽古に打ち込む弥彦の姿に投影されているのでしょう。
しかし、和月先生の剣術は鈍腕だったとのこと。団体戦でレギュラーとして出場できたのは3年間で、たったの一度。本来レギュラーだった1学年下の部員が素行不良で外され、補欠の繰り上がりで運よく出場できただけ。中学時代は1勝もできず、悔しい思いが残ったそうです。
弥彦が剣心や佐之助の背中を見て成長していくさまは、中学時代の和月先生が剣術で強くなっていく、理想の自分を思い描いて描いたのかもしれませんね。
高校卒業後、本格的に漫画家への道へ
子どもの頃から漫画が大好きだった和月先生。小学生のときは『コロコロコミック』、中学生になると『週刊少年ジャンプ』に夢中だったそうです。
そして、兄が漫画を描いていた影響を受け、小学生のときから真似ごとで描いてみると、ハマってしまったのだとか。16歳から出版社に投稿も始め、高校卒業後に本格的に漫画家の道へ。
『DEATH NOTE』や『ヒカルの碁』など多数のヒット作で知られる小畑健先生や、世界でも大ヒットしている『キャプテン翼』の生みの親、高橋陽一先生のアシスタントなどを務めたとのことでした。
特に小畑健先生のことは師匠と呼ぶほどで、彼が描いだ『魔神冒険譚(アラビアン)ランプ・ランプ』の主人公ランプは、相楽佐之助のモチーフになったとも言われています。
和月先生は名だたる人気作家のアシスタントの経験を経て、22歳のとき1話完結の『るろうに』を執筆。読者からの評判がよく、24歳のときに『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』で初の連載がスタートしたそうです。
冒頭に掲載した画像の通り、和月先生は新撰組の大ファン。司馬遼太郎先生の『燃えよ剣』にかなり影響されており、るろ剣のキャラクターは新撰組の隊士がたくさんモデルとなっていますので、気になる方はこちらもチェックしてみてください。
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