十本刀の中では最強と呼ばれている瀬田宗次郎。
登場したときから、いつも笑顔を絶やさず「好青年なのか?」と思いきや、かなりヤバい奴でしたよね。
ニコニコしながら大久保利通は暗殺するし、新月村で剣心と対峙したときは逆刃刀を真っ二つに。
挙句の果てに、剣心の神速を超える縮地を使ってくるわで、かなり手強い相手でした。
そんな宗次郎のモデルとなっている人物は、新撰組の中でも有名な一番隊組長の沖田総司だったというのはご存知でしょうか?
ということで今回は、
- 宗次郎のモデルとなった沖田総司の紹介
- 宗次郎と沖田総司の共通点
について紹介していきます。
宗次郎の人物詳細・プロフィール
身長:163cm /体重:51kg /出身地:神奈川県/流儀:なし
志々雄に「弱肉強食」の理念を教わり剣の才能を開花させた十本刀最強の剣士。奥義は、一瞬で間合いを詰める縮地からの抜刀術『瞬天殺』。
元々は気が弱く優しい少年だったが、養子となって親戚の家で、虐待を受ける日々が続く。そこから、作り笑いを浮かべる癖が付く。志々雄との出会いをきっかけに、親戚家族から命を脅かされ自らの手で惨殺。悲惨な過去の経験から、怒りと哀しみの感情を失うことに。剣心との闘いで感情を取り戻し、自分の人生を見つめ直すため、志々雄と別れを告げ旅に出る。
るろうに剣心の宗次郎のモデルとなった沖田総司とは?
先述した通り、宗次郎のモデルとなった人物は新撰組の沖田総司です。
宗次郎の性格上のモチーフは、これはもういわずもがな、新撰組一番隊組長で夭折の美剣心、沖田総司です。
引用分:るろうに剣心9巻
まずは、沖田総司の生涯について紹介していきます。
- 1842年、白河藩士・沖田勝次郎の子供として東京で生まれる
- 4~5歳の時に、両親が続けて亡くなり姉が家を継ぐことになり生活に困窮
(父・勝次郎が亡くなったときには、白河藩士を脱藩していたため生活が苦しくなった) - 1850年9歳のとき剣術を始める
- 1863年後に浪士組の募集に参加(後の新撰組に入隊)
- 1868年労核が原因でこの世を去る
少年時代から剣術の才能を開花
1850年、沖田総司は9歳から剣術を習い始めます。
入門した道場は、天然理心流道場『試衛館』に入門。新撰組、近藤勇の養父、近藤周助の弟子となり剣術を学びます。
子供のときから、剣術の才能に秀でており、大人にも勝ってしまうほどで、周囲も沖田の剣の才能を認めていました。
沖田は若くして、免許皆伝をし天然理心流道場の塾頭を務めていたほどです。
新撰組の中でも最強の剣客と呼ばれた沖田の強さは、強靭な足腰を生かし、素早い動きから繰り出される『三段突き』です。
その『三段突き』は、あまりにも速すぎるため、3回の突きが1回に見えてしまったほど言われています。
沖田は幼少の頃から剣術の才能を開花させ、新撰組の中でも最強と呼ばれた剣客です。
沖田総司はなぜ新撰組に?
清河八郎が、将軍(幕府)を守るための浪士を募集していたからです。
そこで、沖田は『試衛館』の同門であった、土方歳三と参加することにします。
浪士組から、壬生浪士組になるまでの経緯は下記の記事にまとめました。
「この世は弱肉強食」というセリフ通り、武力で日本の覇権を奪おうとし、明治政府からも恐れられた志々雄真実。 ですが、優れた剣術、緻密な戦略、頭の回転の速さ、組織を動かす能力も兼ね備えた優秀な逸材でもあります。 そのカリスマ性から、悪役です[…]
そして新撰組になるきっかけとなったのが『八月十八日の政変』。
1863年に起きた政変。公武合体派(幕府の勢力を立て直そうとしている人達)が、尊王攘夷派を追放した事件。
尊王攘夷運動が活発になり、京都は過激な尊王攘夷派が多く集まっていました。
つまり、京都の反幕派を取り締まる組織が必要だったのです。
そこで、少しずつ組織が大きくなっていた『壬生浪士組』改め、新撰組となり、今でいう警察のような組織として活動することになったのです。
とくに新撰組が有名になった事件が、『池田屋事件』。
1864年6月に、新撰組が京都の旅館、池田屋に潜伏していた長州藩や土佐藩などの尊王攘夷志士を襲撃した事件。
しかし、池田屋事件のときに沖田は血を倒れて吐いてしまいます。
最強と言われている沖田ですが、新撰組として活躍した期間は意外にも短かったようです。
27歳の若さでこの世を去る
沖田は27歳という若さで、この世を去ることになります。
※諸説あり⇨24、25歳説
死因は労核です。現在でいう結核のような、肺や呼吸器系の器官の病です。
るろうに剣心でも、沖田が労核であったことがわかる描写があります。
当時、労核で亡くなる人は多く、さらに医療の技術も今のように発達していなかったため労核は治らない病でした。
それでも沖田は体調が悪い中、戊辰戦争に参加しようとしますが、鳥羽・伏見に向かう途中で倒れてしまい参戦はしていません。
新撰組、最強の剣客とされた沖田は27歳という若さで生涯を終えることになります。
参考文献はこちら。
宗次郎が使っていた日本刀は沖田総司と同じ?
まず沖田が使っていた日本刀、3本を紹介していきます。
1本目:菊一文字則宗(きくいちもんじのりむね)
菊一文字則宗は、大名クラスでも入手の難しいとされている国宝級の刀です。
そのため、実際に沖田が使っていた可能性は低いとされていますが、沖田といえば菊一文字則宗をイメージする人も多いようですね。
菊一文字則宗は、宗次郎が剣心と戦ったときに使った刀です。
菊一文字則宗は、宗次郎の愛刀であります。
ですが、国宝級の名刀を宗次郎がどうやって手に入れたのかは謎のままです。
2本目:大和守安定(やまとのかみやすさだ)
斬れ味が鋭く、幕末の志士達にも人気のあった刀。
なぜ沖田が大和守安定を使っていたかというと、近藤勇を慕っていたからです。
近藤が使っていた刀は、長曽根虎徹(ながそねこてつ)。こちらも名刀です。
長曽根虎徹と大和守安定は似ているとされ、沖田が近藤の影響を受け、大和守安定を使用していたと言われています。
ですが宗次郎は、大和守安定は使っていません。長曽根虎徹を使っていました。
それは、剣心と最初に剣を交えたときに志々雄に渡され使うことに。
宗次郎は長曽根虎徹を使って、剣心の逆刃刀を真っ二つに。
しかし、長曽根虎徹の刃もボロボロになってしまいます。
宗次郎は大和守安定は使っていませんでしたが、名刀・長曽根虎徹は使ったことがありました。
3本目:加州清光(かしゅうきよみつ)
沖田が池田屋事件のときに使ったとされる刀です。
加州清光は激しい戦いの中で、刃先が折れ修復不可能となり今は残っていません。
こちらの刀は、宗次郎は使っていませんでした。
まとめると、沖田が使っていた3本の刀のうち宗次郎は1本使用。
菊一文字則宗と、沖田が使用した刀ではありませんが長曽根虎徹の名刀と呼ばれるものばかりを使っていました。
宗次郎と沖田総司の3つの共通点
宗次郎と沖田総司の共通点は下記の3つです。
- 幼少のときに両親が他界
- 目にも止まらぬスピードの剣術
- よく笑い親しみやすい青年
1つずつ解説していきます。
幼少のときに両親が他界
沖田も宗次郎もが幼少の頃に両親が他界しています。
沖田は姉に育てられますが、宗次郎は親戚の家に預けらることになります。
ですが、宗次郎の場合は預けられた親戚の家で虐待を受けてしました。
そのタイミングで志々雄と出会い「強ければ生き、弱ければ死ぬ」という教えから、自らの身を守るため、志々雄からもらった脇差で親戚家族を惨殺。
これをきっかけに、宗次郎は楽以外の感情を剣心と闘うまで完全に封じ込めることになりました。
話をもう一度戻すと、沖田と宗次郎は幼少の頃に両親が他界。
その後に、沖田は『試衛館』に入門し、宗次郎は志々雄から剣術を学ぶことになるので、剣術を習い始めたのも同じ時期になると考えられます。
目にも止まらぬスピードの剣術
沖田の『三段突き』が非常に速いことは先ほど説明しましたが、宗次郎といえば剣心の神速をも超える速さ縮地です。
縮地とは?
強靭な脚力で、初速からいきなり最高の速さに達する足の運びで一瞬の内に相手の間合いを侵略する幻の対技流派を問わず剣術界に広く流布されて伝えられる
決まると常人の目にはまるで仙術の類を使い地脈を縮め距離を短くし瞬間移動したかの如く写ることからこの名で呼ばれる
引用元:剣心:15巻
沖田も宗次郎も強靭な足腰から繰り出される、超スピードの剣を振るうのが共通点です。
よく笑い親しみやすい好青年
宗次郎といえば、いつもニコニコしていますよね。
沖田も、冗談を言ってよく笑い、親しみやすい青年だったとされています。
るろうに剣心に関わらず、沖田といえば美少年で好青年というイメージを持っている人もいるのではないでしょうか?
ということで、2人を比較してみましょう。
まずは宗次郎から。
続いてが、るろうに剣心に登場する沖田総司。
イラストのデザインは、かなり似ていますよね。
実際には、作者・和月伸宏我々が思っている沖田とは違うイメージしていました。
ですが、『燃えよ剣』の沖田ではなく、『新撰組血風録』に登場する、人間として大事な感情の一部を、どこかに失くしてしまった怖さを兼ね備えている沖田の方です。
引用元:るろうに剣心9巻
つまり、好青年のところが共通点ではなく、人を斬ることに何のためらいもなく、感情が失われた怖さのあるところが2人の共通点でした。
宗次郎がるろうに剣心北海道編で再登場!
剣心との闘いを最後に志々雄に別れを告げ、自分探しの旅に出た宗次郎が、るろうに剣心北海道編で再び登場。
今度は剣心や斎藤一らと、宗次郎を始めとする十本刀が味方として闘うことに。
剣心は飛天御剣流を使った後遺症から、一戦交える度にフラフラだし、斎藤一は牙突を繰りだす左腕は折られ、愛刀まで粉々にされる始末。
そして本当に宗次郎達を、信じていいのか不安なところもありますし。
るろうに剣心北海道編では、剣心が逆刃刀を手放してからの5年後が描かれています。
「現役復帰した剣心が見たい!」「宗次郎が旅に出た後が気になる…。」なんて思った人はチェックしてみて下さい。