SHOWROOMの前田裕二さんって、かっこいいよなぁ。
すごく丁寧な口調で、物腰が柔らかいし。
でも、「子どものときから親がいなかった」って言ってた…。
本人はサラッとしゃべってるけど、かなり気になる。
と、いった疑問に答える記事となっています。
- 前田裕二の生い立ちがわかる
- 前田裕二の経歴がわかる
前田さんといえば、メモの魔力はベストセラー。
SHOWROOMという、ライブ配信サービスも人気ですよね。
誰もが羨むような、エリート人生を送ってきたように見える前田さんですが、普通の人では、想像できないような生い立ちだったんです。
もし今、悩みごとがある人は、この記事を読むことで、
そんな環境でも、前田さんって、諦めなかったんだ。
だったら、自分ももう少し頑張ってみよう!
と、前向きになれると思います。
今回は前田裕二さん著書、『人生の勝算』を参考に調べました。
『人生の勝算』には、前田さんの生い立ちからSHOWROOMが軌道にのるまでのことが書かれています。
前田裕二の生い立ちが驚愕…。
前田さんの、生い立ちをまとめてました。
- 8歳で両親を失う
- 慣れない環境に自分を見失う
- お金がないコンプレックス
- アルバイトすることもできず
- ストリートライブでビジネスを始める
- 学生時代はバスケに熱中
- 高校2年で大学進学を決意
- 大学進学後も常にフル稼働
1つずつ解説していきます。
8歳で両親を失う
前田さんが8歳(小学2年)のとき、母親が他界します。
もの心ついた時には、すでに父親もいなく、8歳で前田さんは両親を2人とも失うことに。
残された家族は、前田さんと、10歳年上のお兄さんだけになってしまいました。
慣れない環境に自分を見失う
両親がいなくなり、親戚の家に引き取られた前田さん。
しかし、
- 慣れない環境
- 最愛の母親を失った悲しみ
などから、生活に馴染むことはできません。
自分を見失っていた前田さんは、この頃はかなりやんちゃな事をして、お兄さんにも迷惑をかけてしまったと語っています。
お金がないコンプレックス
両親もいないため、お金に不自由だったことが前田さんのコンプレックスになります。
やはり、お金がないとやりたいことができないからです。
塾に行って、勉強がしたかった前田さん。
しかし、お金がないので行くことはできず、周りを羨むと同時に、
- 稼ぎたい
- お金を持って自由になりたい
と、小学生ながらにして思うようになります。
アルバイトすることもできず…。
前田さんは、近くの駄菓子家さんに行き、
「時給半分でいいので、アルバイトで雇って下さい。」
と、おばさんにお願います。
しかし、採用されませんでした。
おばさんは前田さんに対して、
「あなたを雇った場合、うまい棒を最低でも40本売らなきゃいけないよ。でも、うちでは1時間で売ることができない」
と、理由をつけて雇えないことを説明されます。
ここで前田さんは、ビジネスの基礎的なことを知ることになります。
次に家電量販店のバイトを受けます。
子どもがレジをしていたら、面白いのではと思い、採用を期待していた前田さん。
しかし、子どもということもあり、
「できることがない」
と言われ、小学生ではバイトすらできないのかと、当時の自分の環境を恨んでいました。
ストリートライブを始める
バイトができないことを知ったので、自分で稼ごうと、小学生6年生ながらにしてストリートライブを始めます。
初めは、東京都葛飾区・足立区を中心に、オリジナルソングを歌っていました。
初月の売り上げは、500円程。
しかし、生活することを基準に考えていた前田さんは、
「どうやったらもっと稼げるのか?」
と、考えるようになります。
前田さんは、下記のように戦略を変更します。
- ライブ場所の変更。葛飾区・足立区→港区
- オリジナルソング→カバー曲
稼いだ500円を資金に、電車で移動し仮説をたてて実践していきます。
その後も、試行錯誤を繰り返し、半年後には10万円ほどまで稼げるようになりました。
ストリートライブは、小学6年から中学2年まで続けたそうです。
前田さんのストリートライブの経験が、後にSHOWROOMの立ち上げに大きく関係することになります。
学生時代はバスケに熱中
中・高とバスケに熱中していた前田さん。
しかし、都立深川高校に進学後、膝にケガを負い断念。
その後は、英語のディベートを始めます。
前田さんは、学校の代表として大会に参加。
帰国子女が参加するようなレベルの高い大会で、見事優勝。
この時に、英語のスキルも身に付けました。
高校2年で大学進学を決意
前田さんは、早稲田大学政治経済学部を卒業。
家計の問題もあり、都立の高校に進学していた前田さん。
元々進学するつもりはありませんでした。
しかし、早稲田大学に進学したOBの方に進路のことを聞かれ、パッと思い浮かんだのが、兄に恩返しをしたということ。
前田さんのお兄さんは、家庭の事情もあり医者になりたいという夢を諦め、前田さんを養うために働いていました。
「難関の大学に行って、兄を喜ばせたい」
と思い、高校2年の2月に早稲田大学に受かるため猛勉強を開始。
受験勉強をするにあたり、
- 15年分の過去問を、さかのぼり対策
- 1日にどれくらいの勉強をするか明確に設定
大学に合格するためだけに、1年間行動しました。
結果、早稲田大学経済学部に現役で合格を果たします。
偏差値は、70.0。
前田さんは、成績も優秀だったことから、返済不要の奨学金も受けることができました。
大学進学後も常にフル稼働
大学に進学した後の前田さんは、
- 塾講師
- 居酒屋
- 日雇い労働
など、数々のアルバイトを経験。
奨学金を受けていたものの、足りない学費は自分で賄わなけらばいけなかったからです。
さらに、バンド活動にも熱中。
ゼミでは、マクロ経済学を専攻。
- 経済指標
- 国際通貨基金
の報告書を分析し、景気動向の予測などに取り組んでいたそうです。
学生時代から、人の3倍密度の濃い生活を送ることを考えており、平日の睡眠時間は3時間。
土日もしくは休日に、6時間睡眠を確保するといった生活を、学生時代は送っていました。
現在はさらに多忙で、睡眠時間は3時間程度の前田さん。
学生のときから忙しいのが当たり前だったようですね。
前田さんの睡眠時間については、こちらの記事に詳しくまとめました。
前田さんの、Twitterで見たけど3時間睡眠らしい…。 https://twitter.com/ugmd/status/1057707418996494336 みくる。 なんで3時間しか寝ない[…]
驚愕の生い立ちから、這い上がった前田裕二の経歴
前田さんの、経歴を簡潔にまとめてみました。
- 2010年4月『UBS証券』入社。
- 2011年に『UBS 証券』のアメリカ本社に勤務。ニューヨークへ。
- 2013年5月『株式会社DNA』に、中途入社。
- 2013年11月25日、『SHOWROOM』のサービスを正式にリリース。
- 2015年、DeNAと会社分割し、『SHOWROOM株式会社』を設立し、代表取締役に就任。
働きまくったサラリーマン時代
サラリーマンでありながら、1日20時間近く働いていた前田さん。
UBSで証券マンとして働いていたときのことは、こちらの記事にまとめました。
みくる。 前田さんって、UBS?って会社で働いてたみたいだけど、どんな会社? サラリーマン時代から、優秀だったのかな? 年収はいくら? と、いった疑問に答える記事です。 前田裕二が、UB[…]
DeNA創業者、南場さんからスカウトされ入社
ある程度の、起業プランも決まり、どこから資金を調達しようか考えていた前田さん。
そこで、大学のときに就活したこともあり、たびたび連絡をとっていたDeNAの南場さんに相談することに。
起業プランを聞いてもらったあと、南場さんから
「前田くん、DeNAで修行したら」
引用元:『勝利の逆算』P151
出版社:幻冬舎
と、言われます。
南場さんに、最初に自分で事業を立ち上げるよりも、DeNAで事業を立ち上げることを経験してから、個人で起業したほうがいいのでは?
という提案をされます。
そして2013年5月に、前田さんは『株式会社DeNA』に中途入社することになります。
SHOWROOM立ち上げ
前田さんは3ヶ月ほどで、SHOWROOMのサービスを完成。
毎日、朝の4時半まで仕事をこなし、必死に完成させました。
社員に公開した結果、大失敗してしまいます。
失敗した例は下記の通りです。
- コメントが出ない
- 配信が止まる
- 課金されない
さらに、1ヶ月かけて修正を行い、2013年11月25日に正式にリリースされ大ヒットしました。
前田裕二がSHOWROOMを作ったのは、辛い生い立ちがあったから
小学校のときに、ストリートライブをやって、お金を稼ぐのが難しいという経験をしたからです。
世の中には、
- 歌手
- 俳優
- 女優
- アイドル
と、エンタメに携わって仕事をしたいという人は数多くいます。
しかし、エンタメを本職として稼げている人は、ごくわずか。
実力があっても、売れていない人がいることを知っていた前田さん。
そこで誰でも、演者として報酬も得られる環境を作ろうと思い、SHOWROOMを立ち上げました。
辛い生い立ちを、乗り越えた前田さんだからこそ、作れたサービスだったんですね。
前田裕二プロフィール
- 本名:前田裕二(まえだゆうじ)
- 生年月日:1987年6月23日
- 出身地:東京
- SHOWROOM株式会社:代表取締役
幼少の生い立ちが、前田裕二の人生を変えた。
今回の記事をまとめると、前田さんの生い立ちは
- 8歳で両親を失う
- 10歳離れた兄が、夢を諦め働くことに
- お金に不自由だったため、前田さんも小学生ながらにしてストリートライブを始める
- 猛勉強のすえ、早稲田政治経済学部に合格
- 大学卒業後は、
- 外資系投資銀行『UBS証券』入社
- アメリカ本社に勤務後も、トップの成績
- 日本に帰国後、『株式会社DeNA』に入社し、SHOWROOMを立ち上げる
- 2015年『SHOWROOM株式会社』を設立し、代表取締役に就任
前田さんの将来の目標は、Googleを倒すことだそうです。
どんな逆境も跳ね除けた前田さんなら、いつか夢を叶えてしまうかもしれませんね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。