剣心のモデルとなった河上彦斎とは?思想は志士雄真実よりかも…。

あなたはるろうに剣心の主人公、緋村剣心に実在した人物がモデルになっていたことをご存知でしょうか?

剣心は、幕末から明治初期に活躍した維新士です。

幕末の動乱に15歳の若さで飛び込み、明治時代突入後に起こった戊辰戦争までの約5年間、みんなが平和に暮らせる世の中にするため剣を振り抜きました。

新しい時代を創ることに貢献するため、最初に行っていた仕事が幕府側の重要人物の暗殺。その後は、遊撃剣士として新撰組などとも剣を交えています。

しかし、あまりにも多くの人を斬ってしまい、付いた呼び名が『人切り抜刀斎』。

幕府側からは恐れられ、強すぎたあまり「架空の人物なのでは?」と疑われるほどの伝説の剣客です。

その剣心のモデルとなった人物が河上彦斎幕末の4大人斬りのうちの1人です

・大元のモチーフは実在の人斬り「河上彦斎」。のはずなんだけど、今や完全に別物(トホホ)。

引用元:るろうに剣心明治剣客浪漫譚1巻:P56
出版社:集英社

そこで今回は、緋村剣心のモデルとなった、

  • 河上彦斎の人物像
  • 剣心との共通点

を、書籍やネットを参考に調べてみたので紹介していきます。



剣心のモデルとなった河上彦斎とは?

  • 河上彦斎(かわかみげんさい)
  • 1834〜1872年:享年38
  • 出身地:肥後国※現在の熊本県

彦斎は、1834年12月25日に肥後国新馬借町に生まれます。初名は『小森彦次郎』。

11歳の頃、河上彦兵衛の養子となり『河上彦斎』に改名。

1849年、彦斎が16歳のとき茶坊主となって熊本藩主の花屋敷にて、藩主・細川斎護の側で働いていました。

主に茶坊主の仕事は、

  • 茶の湯の手配
  • 訪問者の接待

など、基本的には雑用をする仕事です。

※茶坊主という名ではあるが身分は武士。

彦斎は、掃除坊主から国老附坊主まで出世することになり、その後熊本藩主の幹部客になっていきます。

向上心の高く勉強熱心だった河上彦斎

彦斎は武士とはいえ、あまり高い身分は高くありませんでした。

しかし、一通りの教養は身につけており、大変勉強熱心だったようです。

学問を教わるにしても、色々な分野を、しっかりと専門分野の学者から学び知識を得ています。

  • 儒教:肥後勤勤王党の轟武衛
  • 国学:肥後国国学の大家林王林
  • 兵法:宮部鼎蔵と神風連の太田黒伴雄

彦斎は、いろんな学者から学んでいくうちに、尊王攘夷の思想を強めていきます。

幕末の動乱に参加した理由

彦斎は清河八郎の影響を受け、1861年12月攘夷運動に参加したことがきっかけです。

天皇を尊び政治の中心とする天皇と、外国を追い払う攘夷が結びついた思想。

※攘夷運動とは、尊王攘夷の思想を広げるための活動。

彦斎は尊王攘夷の思想が強くなっていった彦斎は、攘夷運動に参加した結果、尊王攘夷派の志士、清河八郎に評価され、熊本藩新兵選抜となり幹部客にまでなります。

河上彦斎が歴史に名を残したエピソード

彦斎が人斬りとして有名になったエピソードは、公武合体と開国論を説く、幕末の大思想家佐久間象山を暗殺したからです。白昼に堂々と佐久間象山を襲撃し、三条木町屋にて斬殺。

暗殺と言われていますが、尊皇攘夷の思想を持つ彦斎とは真逆の思想を説く佐久間に対して、個人的な感情で襲撃したとも言われています。

しかし彦斎は、他に暗殺した人は記録がなく不明な点が多いです。

彦斎は佐久間象山を暗殺したことで、幕末の人斬りとして有名になりました。

尊皇攘夷を曲げきれず処刑

佐久間象山を暗殺したあと、長州藩とともに、

  • 禁門の変
  • 第二次長州征伐

に参戦するも、故郷の肥後藩に帰ります。

しかし、肥後藩は幕府側がまだ実権を握っていたため、攘夷思想を持つ彦斎は投獄されてしまい、江戸幕府終了を見ることなく、獄中で過ごすことになります。

そして、江戸幕府の時代が終わるとともに、政権が朝廷に戻ると彦斎も開放。

1868年には軍事掛に任命され、高田源兵衛と兵学校『有終館』を設立。

ですが、彦斎のもつ攘夷思想が新しい政府と思想が合わず、彦斎は危険人物として警戒されることになります。

※彦斎の攘夷思想とは排他的攘夷思想で、諸外国を武力で撃退し排除する思想のこと。

つまり、諸外国の文化を積極的に取り入れていこう(開国)と考えていた、維新政府とは真逆の思想だったので、彦斎は大久保利通からも警戒されていたと言われています。

最後まで攘夷思想を曲げきれなかった彦斎は、維新政府を批判したことが陰謀罪とされ、無実の罪を問われ、1872年彦斎が38歳のとき斬首されることになりました。

剣心と河上彦斎の3つの共通点

剣心と河上彦斎の共通点は下記の3つです。

  • 短身痩躯
  • 瞬足剣術の使い手
  • 得意技が『片手抜刀の逆袈裟斬り』

1つずつ解説していきます。

短身痩躯

河上彦斎は、背が低く痩せ型の体型。女性と見間違うほどの外見です。

剣心も同様に、短身痩躯で女性と間違えられてもおかしくない、外見に描かれています。

実際の剣心の身長と体重がこちら。

  • 身長:158cm
  • 体重:48kg

参考文献:全史・るろうに剣心 ―明治剣客浪漫譚― 剣心華伝

河上彦斎の身長と体重の数字は、わかりませんでしたが、2人の1つめの共通点は短身痩躯であることです。

瞬速剣術の使い手

剣心が飛天御剣流の、神速の剣術を使うように、河上彦斎も瞬速剣術の使い手。

河上彦斎は肥後にいたとき、居合術を習ったといわれていますが、剣術はほぼ我流。

流派も諸説あり、『不知火流』もしくは『彦斎流』と自ら名乗っていたとされますが、どちらも我流であることがわかっています。

しかし、我流でありながら、彦斎の剣術は非常に実践向きだったため、禁門の変や長州征伐などで、戦い抜くことができたのでしょう。

得意技が『片手抜刀の逆袈裟斬り』

彦斎の得意技が『片手抜刀の逆袈裟斬り』。剣心の奥義が『天翔龍閃』。

この2つの技は、非常に似ています。

なぜかというと、『片手抜刀の逆袈裟斬り』も『天翔龍閃』も同じ抜刀術だからです。

『片手抜刀の逆袈裟斬り』は、その名の通り、抜刀し、片足を前に出して膝を曲げ、もう片方の足を後ろに伸ばして、低い姿勢から相手を切りつける技です。

剣心の『天翔龍閃』も同じく抜刀術です。

基本抜刀するときは右足で踏み込み、相手に切りかかるのですが、より高速で抜刀するため、左足で踏み込み、低い体勢から相手を切りつけるのが『天翔龍閃』です。

彦斎は剣術は我流ですが、

  • 居合術を習っていた
  • 体が小さく相手に剣を振り下ろすには不向き

上記2つのことを活かし、低い体勢で相手を切りつける『片手抜刀の逆袈裟斬り』を身に付けたと言われています。

剣心と彦斎の3つめの共通点は、得意技が抜刀術であることです。

河上彦斎って剣心と似てるけど、思想は志士雄真実よりかも…。

彦斎と剣心を比較してみると、見た目や剣術に関しては、共通点が多いです。

しかし、彦斎の排他的攘夷思想に関して考えてみると、「この世は弱肉強食」と考えている、志士雄真実に近いようですね。

政府から危険人物扱いされ、処刑される最期なんかはとくに。

歴史を振り返って『るろうに剣心』を読んでみると、また違った楽しみ方ができるかもしれません。

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