■偉人にインタビュー⁉︎
旧石器時代から現在の令和時代までさまざまな出来事が起こった日本。その歴史は、数々の人によって動かされてきました。もし、日本史の教科書で紹介されるような人物に、今、話を聞いたら何を語るのか? そこで、伝えられてきた偉人それぞれのイメージと実績がわかる、インタビュー風の記事を作成。
今回登場してくれたのは、征夷大将軍に任命され、蝦夷を鎮圧したことで有名な坂上田村麻呂さんです!
758年、武官という朝廷の軍事を担当する坂上家に誕生。797年に征夷大将軍に任命される。
801年、アテルイ率いる蝦夷の軍に勝利。岩手県に胆沢城を築く。その後も軍の指揮官として活躍した。
811年、病気により死去する。
桓武天皇にインタビュー!
よろしくお願いいたします。
まず、坂上田村麻呂さんは武士という認識でよろしいのでしょうか?

そこはちょっと微妙なところですね。
というのも私の家は、朝廷から命令を受けて軍を指揮する“武官”という官職に任命されていました。
ただ、武士というのは、自ら武装をする方々のこと。だから、少し意味が異なるかと。
間違った解釈をしていました。申し訳ありません。

いえいえ、まぎらわしいと思うので気になさらず。代々朝廷で軍事を担当していたので、軍事貴族と覚えてもらえれば。
軍事貴族と。忘れないようにメモしておきます。
では、坂上田村麻呂さんは、軍を引き連れてどこを攻めたのですか?

私が向かったのは、東方地方ですね。当時、まだ朝廷は日本を統治できてなかったんですよ。
へえ。東北が日本ではなかったんですね。

ええ。その東北地方に住む方々は生活や文化なども異なる民族で、朝廷のほうでは蝦夷と呼んでいました。
彼らは反乱などを起こしていたんです。もちろん彼らにも理由があってのことですが。
ただ、朝廷軍はこういった地は平定する必要があるということで、軍を引き連れて向かったわけです。平定させるまで想像してた以上に時間と労力がかかりましたね。
苦戦した理由は?

一番は蝦夷の族長であったアテルイの存在。抜群のリーダーシップと考え抜かれた戦略は、敵ながら素晴らしいなと。私が征夷大将軍として任命される前にも戦ったことがあるんですけど、朝廷軍は負けてしまいましたから。
どうやって鎮圧することができたんですか?

これは兵の層の厚さですかね。いくら戦力が優れているとはいえ、戦っているうちに少からず兵の数は減っていく。朝廷軍も負けたとはいえ、かなりのダメージを与えたこともありました。
私が征夷大将軍として戦ったときには、だいぶ蝦夷の兵は疲弊していたように思えます。
なるほど。

やがて、蝦夷の軍は戦える状況ではなくなり降伏することに。
しかし、最後の最後まで戦う姿から、彼らがこの地を何がなんでも守るという意地と誇りを感じました。
また、族長のアテルイを平安京に連れていく途中、彼は自分よりも民が幸せに暮らせることを望んでいた。
素晴らしい人物。

ただ、このままではアテルイは処刑されてしまう。彼は今後の国づくりに必要な人物だと思ったので、平安京に戻り次第、すぐ朝廷にアテルイは生かすべき人物であることを意見しました。
そして人望もあるから、手を取り合えば東北の経営もしやすくなるはずだという能力面も含めて。
それはいい案ですね。

強く、強く、願いました。
しかし、朝廷は反逆者としてアテルイを許すことはしませんでした……。
そんな……

私の力不足です。無念としか言いようがありません。アテルイを生かすことができれば、この国をまた違う方向に進めることができたはずなのに……。
坂上田村麻呂のちなみに話
武官として大きな功績を残した坂上田村麻呂。武神として敬われ、鈴鹿山で鬼を征伐したなどの伝説が各地で言い伝えられています。