剣心の義理の弟である“雪代縁”。姉の雪代巴を、過って斬ってしまった剣心への憎悪は相当。自分の味わった苦しみ以上のものを剣心に与えるべく、周囲の関係者を巻き込み、何もかも奪おうとした復讐鬼です。
今回は、そんな彼のモデルとなった人物を紹介していきます。
プロフィール
東京府出身。幼少のころに戊辰戦争で両親を失う。唯一の家族であった姉の雪代巴は、剣心が過って斬ってしまうことに。不幸な出来事が重なり、日本を嫌って上海へ渡る。
その後、生死の境を苦しみながらも剣心への憎悪は燃えたぎり、独学で肉体と剣術を鍛え、密輸武器組織のマフィアのボスまで成り上がる。復讐の準備を万全に整え日本へと帰国した。
雪代縁のモデルとなった人物は?
雪代縁のデザイン上のモチーフは、ほかのキャラクターのようにはっきりとはしていません。
よく、『マクロスク』のバサラや
『ドライガン』のヴァッシュ、
と言われるそうですが、どちらも違うとのこと。
が、しかし、実はそのどちらでもなく一言で言えば、「上修淳士先生系のおしゃれな絵柄の漫画に必ず一人は登場する白いギザギザ髪のちょっと不良入った美少年」と言うのが縁のモチーフです。
引用文:るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- コミック28巻
この、上修淳士先生系というのは、マンガ『TO-Y』の主人公・藤冬三だそうです。
ご覧いただいた通り、雪代縁が真っ当に生きていたら、こんな感じであったであろうというのが想像できますね。
これをモチーフにマフィアの設定を付け加え、不良っぽいサングラスと異国情緒漂わせる中葉服を身につけさせて、雪代縁のデザインが完成。
ちなみにハーフマントは、『X -MEN』がヒントとなっているそうです。
雪代縁が使う“倭刀術”は実際に使われていた?
“倭刀術”は実際に使われていた剣術。日本の剣術と何が違うのかというと、1つは武器の違いにあります。
倭刀術では“太刀”を使用。日本刀と比べて剣幅が広い。そして、刀身が長く、反っている。室町時代の中期以降に流行した刀とされています。
なぜこの太刀が流行したのかというと、時代背景が大きく関係しています。
14世紀から15世紀の前期、朝鮮半島や中国大陸の沿岸部を荒らしまくった海賊集団、倭寇の襲来です。この集団が太刀を使っていたとされます。
ちなみに、日本は“倭の国”と呼ばれていたため、日本の海賊集団という意味で名付けられたようです。
※一説によると7割以上が中国人の明の貿易集団だったとも言われている。
この度重なる倭寇の襲来に悩まされていたアジア諸国。なんとか打破するために、敵の兵器と技法を徹底して研究。その攻略法が中国の『紀効新書』に記され、後世に倭刀術として伝わったのだそうです。
これは、いわば日本と中国の考えを融合させた剣術。中国では刀を扱うときは片手で操作するのが基本。しかし、倭刀術は日本刀をベースに編み出されているため、両手で操作するのは珍しい武術なのです。
それを踏まえたうえで、雪代縁の倭刀術はというと、『単刀法選』などのさまざまな文献を参考にして、独学で身につけたもの。ゆえに、本来の両手操作とは異なり、片手で技を繰り出すシーンが多く見られます。
ですが、日本刀よりも長く重量のある太刀を片手で振り回すのは、相当な腕力が必要。雪代縁は、己のフィジカルの強さを把握したうえで、倭刀術の要素を上手く取り入れたことにより、オリジナルの剣術としたのです。
ということで、今回は雪代縁について紹介しました。
『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚』はそれぞれのキャラクターも魅力的ですが、こういった歴史の勉強になるのもいいところ。大人になった今、読み直してみると、また違ったおもしろさが見つけられますよ!