箕輪さんって、結構テレビとかに出ているけど本の編集とかする人なんでしょ?
なんか、イメージつかないなぁ…。
幻冬舎にいるくらいだから、いい大学を出てるのかな?
なんで編集者になったんだろう?
箕輪さんが、携わった本なんかも知りたい。
と、いった疑問に答える記事となっています。
今回の記事でわかること。
- 箕輪さんの経歴がわかる
- 箕輪さんがなぜ編集者になったのかわかる
箕輪さんといえば、
- 『多動力』
- 『メモの魔力』
- 『1人の熱狂』
と、ヒット本を連発し、普通のサラリーマンでありながら、かなり有名な編集者ですよね。
今回は箕輪さんの経歴について、
- 箕輪さん著者『死ぬこと以外かすり傷』
- インタビュー記事
- 箕輪さんの公式ホームページ
を、参考に調べてみました。
箕輪厚介の経歴
箕輪さんのプロフィールと、ざっくりとした経歴は下記の通りです。
早稲田大学卒業後、2010年に双葉社に入社。
2015年に、幻冬舎に移籍。
2017年にNewsPicks Bookを創刊し編集長に。
2017年6月にオンラインサロン『箕輪編集室』を開設。
2017年10月に自身の会社『波の上商店』を設立。
2019年2月7日YouTubeチャンネル『箕輪厚介』を開設。
箕輪厚介のプロフィール
箕輪さんのプロフィールは下記の通りです。
※参考にした画像は、著作権フリーとなっています。
- 本名:箕輪厚介(みのわこうすけ)
- 生年月日:1985年8月28日
- 出身地:東京都
- 職業:編集者・実業家
- 所属会社:幻冬舎
箕輪さんは、25歳のときにインド旅行で奥さんと出会い結婚。
現在は、2人のお子さんがいるパパでもあります。
箕輪厚介の学歴
箕輪さんの最終学歴は、早稲田大学第一文学部を卒業。
偏差値は、62.5~70.0。
高校卒業後、1年浪人して早稲田大学に入学。
高校時代は、ほとんど勉強はしなかったようで、受験勉強を始めたときは英語の『be動詞』も知りませんでした。
予備校に通うようになり、受験勉強にハマった箕輪さん。
予備校が終わった後も、
- 自主学習室で、23時まで1人で勉強
- 帰りの電車の中で授業の復習
と、いった感じで猛勉強。
見事、早稲田大学に合格を果たしました。
参考記事はこちらから。
「成功してる人って、本能のままの3歳児だよ」…
箕輪厚介はなぜ編集者に?
箕輪さんは、双葉社で広告の営業をやっていましたが、途中から編集者となります。
編集者になった理由は、下記の通りです。
- 広告営業の仕事が退屈だった
- 与沢翼の本を出したいと思ったから
- 1人で本の編集をすることになったから
1つずつ解説していきます。
広告営業の仕事が退屈だった
現在は編集のお仕事をしている箕輪さんですが、最初の配属は広告の営業。
ホワイト企業で、かなり仕事が楽だったのです。
周りでも熱量を持って仕事している人がいなく、箕輪さんにはかなり退屈。
夕方になれば、すぐにお酒を飲んでいたほどです。
しかし、箕輪さんの中では
「このままでいいのかなぁ…。」
という、漠然とした不安がありました。
そこで箕輪さんは、積極的に新規のお客さんの営業を開始。
片っ端から電話でアポイントをとっていくようになり、与沢翼さんと仕事をするところまでこぎつけ、編集の仕事をすることになりました。
与沢翼の本を出したいと思ったから
自宅で、与沢さんの存在を知ったことがきっかけです。
当時の与沢さんは、『秒速で1億稼ぐ男』といったキャッチフレーズで、世間的にもかなり話題となっていました。
与沢さんの存在を知った箕輪さんは、
「これはおもしろいやつがいる」
と、思いすぐに、与沢さんに会いに。
そして、
「3000万円いただけたら、イケてる雑誌を作りますよ」
と、交渉。
結果、与沢さんは即答でOK。
すぐに双葉社に報告した箕輪さんですが、会社からは怒られてしまいました。
なぜなら、与沢さんのイメージが悪かったからです。
ネットで『与沢翼』と検索すると、
- 「詐欺師」
- 「元犯罪者」
といった、悪い評判ばかりが表示されていたのです。
しかし、諦めきれない箕輪さんは社長に懇願。
雑誌を作る許可はおりたのですが、与沢さんの悪いイメージもあり誰も雑誌を編集したがる人がいません。
なので、広告の営業だった箕輪さんですが、1人で編集をするをこと決意。
何も編集の知識のない箕輪さんは、わからない業界用語を調べながらやっていたそうです。
しかし、箕輪さんの必死の姿を見た従業員が、少しずつ手伝ってくれるようになります。
結果、数十名のスタッフで与沢さんの雑誌『ネオヒルズジャパン』を完成。
結論、箕輪さんが編集者になったきっかけは、与沢さんの本を作ることになったが、作る人がいないため箕輪さんが編集するしかなかったからでした。
編集した本が売れたから
『ネオヒルズジャパン』は、3万部を完売し大ヒット。
これがきっかけで、箕輪さんは双葉社の編集部に移動。
正式に編集者となった箕輪さんは、出版1冊目から大ヒット。
幻冬舎社長の見守徹さんの、『たった一人の熱狂』が年間12万部のベストセラーに。
箕輪さんの編集した本は次々とヒットし、少しずつ有名になっていきます。
箕輪厚介はなぜ幻冬舎に?
双葉社でも本を出版し、編集者として仕事を任された箕輪さん。
しかし、2015年に双葉社から幻冬舎へと転職。
転職した理由は、幻冬舎の社長、見守徹さんの本を書いたことがきっかけです。
見守徹さんとは、『出版業界の革命児』と呼ばれているほどの大物。
しかし編集経験のない箕輪さんが、見守さんの本を出版するとなると、業界からもかなりの批判があったそうです。
周囲のことは気にせず、朝から晩まで本のことだけを考え、完成させた箕輪さん。
そして販売戦略を立てていくのですが、見守徹さんが激怒。
なぜなら、時間がかかりすぎたからです。
納品の予定が遅すぎるため、箕輪さんは怒られてしまいます。
しかも、納品の予定日より遅れていないのに。
箕輪さんは無理難題を言われながらも、見守徹さんの
「箕輪、よく聞け。無理はなあ、通すためにあるんだよ!」
というセリフに、箕輪さんは痺れ、幻冬舎に移籍することを決意したのです。
2015年に箕輪さんは、幻冬舎へ移籍し、数々のビジネス書をヒットさせていきました。
箕輪厚介の編集者としての経歴
箕輪さんの編集実績を、紹介していきます。
双葉社在籍時の編集実績
『ネオヒルズジャパン』与沢翼 (2013/11/21)
『たった一人の熱狂』見城徹 (2015/3/18)
『逆転の仕事論』堀江貴文 (2015/5/20)
『悪意とこだわりの演出術』藤井健太郎 (2016/8/17)
幻冬舎在籍時の編集実績
『まだ東京で消耗してるの?』イケダハヤト (2016/1/29)
『新企画』鈴木おさむ (2016/3/17)
『空気を読んではいけない』青木真也 (2016/9/8)
『日本3.0』佐々木紀彦 (2017/1/25)
『危険な二人』見城徹 、松浦勝人 (2017/4/11)
『多動力』堀江貴文 (2017/5/27)
『人生の勝算』前田 裕二 (2017/6/30)
『40歳が社長になる日』岡島悦子 (2017/7/29)
『組織の毒薬 サイバーエージェント副社長の社員にあてたコラム』日高 裕介 (2017/8/30)
『東大から刑務所へ』堀江 貴文 、井川 意高 (2017/9/23)
『モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書』尾原 和啓 (2017/9/28)
『己を、奮い立たせる言葉。』岸 勇希 (2017/10/28)
『お金2.0 新しい経済のルールと生き方』佐藤 航陽 (2017/11/30)
箕輪厚介とは営業から編集者となった異例の経歴だった
今回の記事をまとめると、箕輪さんは
- 元々は、広告の営業マン
- 与沢翼さんの存在を知り雑誌の編集をすることに
- 『一人の熱狂』で、初の本の出版
- 見守徹さんの一言により、幻冬舎への移籍を決意
幻冬舎に移籍後は、『多動力』『メモの魔力』とベストセラーを生み出すことになります。
サラリーマンでありながら、コメンテーターなどを務め特殊な人物でしたが、異例の経歴をもった人でしたね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。