私が新しい“皇”だ!関東のトップに君臨した平将門!

偉人にインタビュー⁉︎

旧石器時代から現在の令和時代までさまざまな出来事が起こった日本。その歴史は、数々の人によって動かされてきました。もし、日本史の教科書で紹介されるような人物に、今、話を聞いたら何を語るのか? そこで、伝えられてきた偉人のそれぞれのイメージと実績がわかる、インタビュー風の記事を作成。

今回登場してくれたのは、平安時時代の終盤に活躍した武士“平将門”さんです!

下総国出身。父である平良将は、鎮守府将軍を務めたほど武勇に優れた人。同じく将門も武勇に優れ、数々の紛争に勝利してきた。
関東のトップに君臨し、自らを新皇と名乗る。

みくる✤

今回はインタビューに入る前に、まず武士が生まれた背景を紹介していきます。

※予備知識!どうして武士が現れたの?

平将門さんが活躍したのは平安時代の終盤。その頃、律令制度が崩壊していた状況。律令制度とはざっくり説明すると、土地や人は全て国家で管理するという体制です。

みくる✤

崩壊したことで何が起こったのかというと……。

今までは国が「この場所は◯◯さんの土地だから、ほかの人は使わないように!」と、土地を任せた人を国で守っていました。

しかし、律令制度が崩壊したことにより個人で土地を守らなければいけなくなったのです。

すると、争いが頻繁に起きるように。

争いを鎮圧するために国から、押領士や追補士と呼ばれる武芸に秀でた者が派遣されたのです(中級・下級貴族が多かった)。

こういった人たちが武士と呼ばれるようになりました。

みくる✤

武士が生まれた背景がわかったところで、平将門さんにインタビューをしていきたいと思います。

みくる✤

いろいろな都市伝説が噂される人だから、ちょっと怖いです……。



平将門にインタビュー!

みくる✤

み、みくる と申します。きょ、今日は、よろしくお願いします。

平将門

みくる さん、こちらこそよろしく。

みくる✤

で、では、えっとですね……早速、イ、インタビューのほうを……。

平将門

なんか、すごい汗かいてるみたいだけど大丈夫かい?

みくる✤

し、失礼しました。だ、大丈夫なので、ま、まずはご出身から。

平将門

出身は下総国。現在でいうと千葉や茨城あたりになるみたいだね。今だとそこらへんの地域は、ちょっとヤンチャな子が多いと聞いたよ(笑)。

みくる✤

そのあたりの地域は、常に「ヤンチャな方が多そうな都道府県ランキング」で上位だったと思います。

平将門

そうなのかい。いや、私の頃も似たような感じだったな(笑)。
ちなみに、当時の都は京都だったから、関東は東京だって田舎の扱い。だから、私も都に憧れて移り住んだときもあったよ。
そして、官職を務めて、土地の経営をしてと、いろいろ考えていたけど……まあ、そう上手くいかなくてね。
結局、関東に戻ってきたわけだけど、結果的にそれはそれでよかったかな。

みくる✤

どうしてですか?

平将門

当時、律令制度の崩壊によって紛争が頻繁に起こってた。だけど、都のことばかり気にかけてる朝廷は、田舎の関東まで手が回っていない状況。そこで争いの解決のために、私はたくさんの人から頼りにされるようになってね。
こう見えても腕っぷしには自信があるんだよ。叔父や妻の一族とトラブルがあって攻められたときも、軽く返り討ちにしてやったからね(笑)。

みくる✤

……は、はは。す、すごく、お強いんですね……

平将門

まぁまぁまぁ。一応、関東では頭を張ってたから。新皇なんて名乗ってたけど、あれはちょっと調子に乗り過ぎたかな。

みくる✤

あの……な、何かあったのですか?

平将門

いや、それが直接的な原因ではないけど、関東にたくさん軍が押し寄せてきちゃって。さすがの私もキツかったな……チッ。
もちろん、今でも忘れてませんよ……

ちなみに平将門って……

実は桓武天皇の子孫だそうです。
また、将門の首塚とされるところがいくつかあり、中でも東京都千代田区のものが有名。

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