欲にまみれてても大丈夫!? 密教を広めた空海を紹介!

偉人にインタビュー⁉︎

旧石器時代から現在の令和時代までさまざまな出来事が起こった日本。その歴史は、数々の人によって動かされてきました。もし、日本史の教科書で紹介されるような人物に、今、話を聞いたら何を語るのか? そこで、伝えられてきた偉人のそれぞれのイメージと実績がわかる、インタビュー風の記事を作成。

今回登場してくれたのは、日本に密教を伝えた空海さんです!

讃岐国(香川県)出身。幼少の頃は役人を目指すが、勉強しているうちに考えが変わり、仏教の道へ進む。
僧になったあと、唐へ渡り密教を学ぶ。帰国後、布教活動に努めた。
そのほか、金剛峯寺の創建、手芸種智院の創設などなど、功績は数知れず。死後、醍醐天皇より弘法大師の名号を与えられた。



空海にインタビュー!

みくる✤

インタビューよろしくお願いします。まず、ご出身は?

空海

はい、讃岐国です。今でいう香川県になります。まあ、割と早めに地元は出てしまいましたが。

みくる✤

何歳頃に?

空海

134のときくらいですかね。役人になりたくて、叔父のもとで勉強するために、当時の首都である長岡京へ。
そして、毎日、毎日、勉強、勉強。いろいろと学んでいく中で古典も学ぶ必要があるなと思ったので、今でいう大学のようなところにまで進学したわけです。

みくる✤

目標に向かって勉強していたんですね。

空海

ただ、入学したところが、いわゆる官僚を養成するような学校で。通っているうちに、「本当にこれは、勉強するべきなのか?」と、疑問が多々湧いてきたんです。
仮に学んだとしても、「困ってる民を助けられない」と思うようになって……。

 

みくる✤

なるほど。

空海

で、役人になるのは辞めて、仏教で人を救うことを考えたわけです。そこから修行に身を投じました。

みくる✤

修行……。辛そう……。

空海

まあ、それが修行ですから(笑)。来る日も来る日も修行。そういった生活を繰り返して5年くらいですかね。東大寺で正式に僧になることができました。
そして、桓武天皇の勅令で、唐へ渡って、さらに深く仏教を学ぶことに。それが私と密教との出会いです。

みくる✤

密教……。聞いたことはあります。

空海

“秘密の仏教”の略ですね。仏教って宗派がいろいろあるんですけど、なんとなく共通して、「心を無に」みたいなことを思い浮かべませんか?

みくる✤

はい、まさにそんなイメージです。

空海

しかし、密教は違います。欲を持ってしまっても大丈夫。例えば、「お金をいっぱい稼ぎたい」みたいな。

みくる✤

わかりやすい欲ですね。

空海

その欲、「お金をいっぱい稼ぎたい」を「お金をいっぱい稼いで、いっぱい人を助けよう」という感じに考えていく。自分の欲を大きくして、いろいろな人を救おうというのが密教とイメージしてもらえれば、わかりやすいかなと思います。

みくる✤

ふむふむ、なるほど。

空海

密教は、当時の最新ともいえる仏教。その第一人者である青龍寺の僧恵果さんから全てを伝授されました。非常に充実した時間になったと思います。

みくる✤

帰国後は?

空海

もちろん、伝授された密教の布教に力を注ぎました。たしか、最澄さんに経典を貸したこともありますね。
あと、弟子を育成するために金剛峯寺を創建。今の日本にも密教が残っているということは、弟子たちがしっかり布教活動をしてくれたみたいですね。

日本に新たな仏教を伝えた空海

密教を日本に広めた空海。亡くなったとされる場所、高野山は1,200年以上に渡りたくさんの人々から信仰を集め、発展していった宗教都市。その文化的景観も高く評価され、ユネスコ世界遺産に登録されました。

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