中大兄皇子の右腕!元祖“藤原氏”の中臣鎌足が登場!

偉人にインタビュー⁉︎

旧石器時代から現在の令和時代まで、さまざまな出来事が起こった日本。その歴史は、数々の人によって動かされてきました。もし、日本史の教科書で紹介されるような人物に、今、話を聞いたら何を語るのか? そこで、伝えられてきた偉人それぞれのイメージと実績がわかる、インタビュー風の記事を作成。今回登場してくれたのは、中臣鎌足です!

大和国(奈良)出身。644年、法隆寺で行われた蹴鞠の会で中大兄皇子と出会う。
645年、中大兄皇子と協力して蘇我入鹿を倒す。この出来事を乙巳の変と呼ぶ。その後、大化の改心を進める中心人物になる。669年、天智天皇(中大兄皇子)から、最高位の大織冠と「藤原」の姓を授かる。



中臣鎌足にインタビュー!

みくる✤

まずは自己紹介をお願いします。

中臣鎌足

中臣鎌足と申します。語感を気に入ってもらってるのか、子どもたちによく連呼されてますね(笑)。歴史を勉強するうえでは、覚えやすいみたいなので、私としてはうれしい。結構、気に入ってるんです(笑)。

みくる✤

一度聞いたら忘れられませんよ。

中臣鎌足

ありがとうございます。私の名前を通じて、起こった出来事なども一緒に覚えてもらえてるといいな。蘇我入鹿を倒した乙巳の変や、大化の改心を進めたこと。そして、中大兄皇子、のちの天智天皇の存在も。

みくる✤

2人は教科書で一緒に紹介されることが多いですよね。ちなみに、なぜ協力し合うように?

中臣鎌足

親しくなったきっかけは蹴鞠でした。皇子が蹴鞠を楽しんでいたら、力が入りすぎて勢いよく靴が脱げてしまったんです。
で、その靴がたまたま私の前に。拾って差し出したときから交流が始まるようになりました。

みくる✤

そういった出会いだったんですね。

中臣鎌足

話してみたら考えなど似ている点があったので、親しくなるまでにさほど時間は掛からなかったですね。
気づけば、もう20年以上の付き合いになります。振り返ると、あの蹴鞠をしていた日は、私の政治家としての大きな転機になったことは間違いありません。

みくる✤

なんでも、最高冠位をもらったのだとか。

中臣鎌足

ありがたいことに。当時、最高冠位である大織冠、そして藤原という姓まで。これ以上にない評価です。天智天皇には、感謝の言葉しかありません。

中臣鎌足ってこんな人

中大兄皇子(天智天皇)ととも大化の改心を進めた政治家。のちに政治に大きな影響を与える藤原不比等や藤原道長といった、平安時代に躍進を見せる藤原氏の先祖でもありました。

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