後世に語り継がれる作品を残した文豪達は、グルメな方が多かったそうです。
そして彼らが愛したお店が現在もあるとのこと。つまり時を超え、同じ食事を楽しむことができると考えたらワクワクしてきませんか?
ということで、今回は文豪達が愛したお店を紹介していきます。
文豪が愛したお店6選を紹介!
有名な文豪達が、愛したお店を1つずつ紹介していきます。
芥川龍之介『浅野屋』
『浅野屋』は芥川龍之介が、愛したとされるそば屋です。
大正3年、彼が東京帝国大学3年生のときに、同店のある田端に引っ越してきたとのだとか。
それから、同店を気に入り、昭和2年自らの命を絶つまでの14年間通ったとされています。
川端康成『キャンドル』
昭和25年創業の老舗洋食店『キャンドル』。川端康成は、チキンバスケットが大のお気に入りだったとのこと。
実は当時、高級料理とされており価格は800円。現代に換算すると13,000円ほどの価値があたっとされています。
盛り付けられているのは、フライドチキン、フライドポテト、スライス、オニオン、トースト、これは今でもは変わらないのだとか。しかし、味は素材の変化や時代に合わせて少しずつ変えているそうです。
2014年に惜しまれつつ閉店することになりますが、2019年に麻生十番でお昼だけの営業を開始。今でも多くの著名人にも愛されているお店です。
二葉亭四迷『上野精養軒』
明治5年創業の『上野精養軒』は、老舗のフランス料理店。明治時代から、食べらるようになった西洋料理を日本人に食べやすい味付けにしアレンジしたのが同店だったとされています。
昔から多くの芸術家が集まり、祝賀会や壮行会も行われていたとのこと。中でも、同店を愛していたと名前が真っ先にあげられるのが“二葉四迷”でしょう。
明治41年、彼が朝日新聞のロシア特派員として向かうことになったとき、壮行会は同店で開催。そこでは“ビフテキ”が振る舞われたそうです。
赴任中に二葉四迷は体調を崩し、帰国途中で亡くなることに。明治43年に行われた追悼式も同店で行われたとのこと。
彼がどれだけ『上野精養軒』を愛し、そして愛されていたのかは、容易に想像できるのではないでしょうか。
三島由紀夫『末げん』
明治42年創業の新橋にある『末げん』は、鳥肉、日本料理を提供する老舗料亭になります。
とくに同店を愛していた三島由紀夫。30代のときからボディビルを始め身体を鍛えるようになり、肉をたくさん食べるようになったとのこと。40代に入りいっそう体作りに熱心になり、朝から400gのビフテキを食べていたそうです。
もちろん、とんかつや鳥肉も好んで食べていたのだとか。とくに好物だった同店の“鳥鍋”は、彼が自ら命を絶つことになる前日にも訪れ、最後の晩餐に選んだとのこと。
志賀直哉『スコット』
昭和21年創業の『スコット』。熱海では有名な老舗洋食屋さんで、太宰治や谷崎潤一郎など多くの文豪が訪れたのだとか。中でも志賀直哉は、熱海に住んでいたこともあり、よく同店に足を運びビーフシチューを好んで食べていたとのことでした。
そのビーフシチューは看板メニューでもあり、非常に丁寧に作られているのだとか。自慢のデミグラスソースは1週間かけて仕込み、そのソースで厚めにカットされた牛肉を5~6時間ほど煮込む。すると、肉はナイフがいらないほどの柔らかさ。噛んだ瞬間に、旨味が溢れ出るそうです。
今でも、多くの著名人が訪れるとのこと。
池波正太郎『資生堂パーラー』
明治5年創業の『資生堂パーラー』。銀座で100年以上続く老舗のレストラン。元々は洋風の調剤薬局として開業し、アメリカからグラスやシロップを輸入して、当時の日本では珍しい飲み物を販売していたのだとか。しかし、昭和3年に起きた関東大震災をきっかけに、店を建て替えレストランとして営業することになったそうです。
また、池波正太郎が同店を愛していて、若い頃には月に2回ほど通っていたそうです。とくに好んで食べたのは“チキンライス”。彼は『チキンライスと旅の空』というエッセイも出しているほど、大好物の料理。幼少の頃は嫌いだったそうですが、戦時中の海軍に入る前に食べた“チキンライス”のあまりの美味しさに感動。以降、他の食堂でも食べるようになったそうです。
ちなみに同店の人気メニューは、フランス風のコロッケ『ミートクロロケットトマトソース』とのこと。
文豪気分を味わうべし!
紹介したお店は、文豪達に愛されていただけでなく、今も多くの有名人が足を運ぶそうです。
いつもと違った雰囲気で食事を楽しみたい方は、足を運んでみてはいかがでしょうか。