るろうに剣心では、幕末に活躍した新撰組や維新士など、実在した人物も登場します。
教科書で見たことがある人でいえば、大久保利通や桂小五郎など。
中でも、るろうに剣心のストーリーに深く関わっており、実在した人物といえば、新撰組三番隊組長の斎藤一を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?
剣心と互角に渡り合える数少ない剣客ですし、斎藤一の正義『悪・即・斬』を貫く生き様は非常にカッコいいですよね。
ですが、あまりにもかっこよく描かれているので、
- 斎藤一って本当に強かったの?
- 明治に入ってから警察だったの?
- 牙突は本当に使っていたのか?
など、気になりませんか?
そこで今回は、書籍やネットを使って調べてみたので紹介していきます。
るろうに剣心で数少ない、実在した登場人物の斎藤一とは?
- 所属:新撰組三番隊組長
- 出身地:江戸(東京都)
- 生年月日:1844年2月18日〜1915年9月28日 享年72
斎藤一は、新撰組の中でも剣術のレベルは非常に高い隊士。
三番隊組長を務めたことだけでなく、新撰組の隊士にも剣術指導を任されていたほどです。
暗殺やスパイなど、頼まれた仕事は忠実にこなす人物でした。
戊辰戦争で幕府・佐幕側が敗北し謹慎された後、斎藤一から藤田五郎に名を改め警視局に登用。
最後は東京女子師範で事務職を務め退職。
1915年72歳で生涯に終止符を打ちました。
新撰組としての活動
斎藤一は新撰組の結成メンバーのひとりでもあります。
新撰組の前身『壬生浪士組』から隊士として、二十歳のときから加わり、近藤勇・土方歳三からも剣術が評価され副長助勤になります。
るろうに剣心のストーリー通り、新撰組の中でも腕の立つ剣客でした。
スパイ・暗殺業もこなす
斎藤一は、剣術が長けているだけでなく、スパイ・暗殺も遂行しています。
とくに有名なエピソードが“伊藤甲太郎暗殺事件”。
伊藤甲太郎とは、1864年に新撰組に入隊するのですが、佐幕側の新撰組とは違った、勤皇思想を持つ人物だったのです。
※勤皇思想:天皇に忠誠心を誓い、そのためならなんでも排除する思想
伊藤は表向きは新撰組で活動しながら、ゆくゆくは勤皇派諸士と新撰組を乗っ取ろうと考えていました。
そして新撰組の中で、伊藤の勢力が拡大。乗っ取るとまではいかないものの、近藤と土方と話し合い10数名隊士を引き連れ分派。
分派後に斎藤一は、近藤の命令で伊藤の派閥にスパイとして潜入。
すると、伊藤が近藤の暗殺を計画していることを掴み、近藤と土方に報告し、近藤の暗殺を未然に防いでいます。
るろうに剣心の作中でも、斎藤一の仕事は警察でありながら密偵と暗殺。
キャラクターと実際の斎藤一の経歴を照らし合わせても、かなり忠実に再現されていることがわかります。
会津戦争で新撰組として最後の戦い
明治時代になってから、新政府対幕府・佐幕で行われた戊辰戦争。
幕府・佐幕側は、鳥羽伏見の戦いで敗走後、近藤は亡くなり、土方は負傷で離脱。
斎藤一は隊士をまとめ、会津藩へと向かいます。
会津戦争が始まりますが、旧装備の会津藩と近代装備をした新政府軍とでは、会津藩には勝機は少なく、あっという間に会津若松城は攻め落とされる寸前に。
戦線に復帰した土方は、勝ち目がないと判断し、会津藩を見限ります。
北上して、艦隊と洋式装備のある榎本軍と合流し戦うことを斎藤一に提案。榎本軍と戦った方が勝機があったからです。
ですが、斎藤一は会津藩と戦うことを選択します。
なぜなら、会津藩は京都で新撰組誕生に力を貸し、後ろ盾となって支えてきたからです。
つまり、会津藩に恩があったのです。会津藩に勝ち目がないから見捨てるのは、武士のするべきことではないという斎藤一の正義でもあったのでしょう。
ここで、斎藤一は土方と決別。
少数の隊士と斎藤は会津に残り最後まで戦いますが、官軍の奇襲を受け敗北。
会津藩が敗北後、斎藤一は会津藩士とともに謹慎生活を送ることになります。
しかし、ここで斎藤一に2つの謎があります。
- 新撰組隊士だった斎藤一が、なぜ会津藩士として処遇を受けたのか?
- 対立していた新政府軍は、なぜ斎藤一に何の罪も問わなかったのか?
というのも、実は斎藤一は元から会津藩のスパイだったのでは?と言われています。
敗北寸前の会津藩に、副長土方と決別してまでも残ったり、官軍に奇襲され玉砕されたにも関わらず、戦いの記録や、どうやって脱出したのかわからないままなのです。
謎めいた部分もありますが、斎藤一の新撰組としての仕事は会津戦争が最後となりました。
明治に入ってからの活動
明治時代になってから斎藤一は、名を藤田吾郎に改め、1877年警視局(現在の警視庁)に警部補として登用されます。
るろうに剣心でも最初は藤田五郎で登場し、階級も警部補と史実通りに再現されています。
そして31歳のときに結婚。相手は会津出身の高木時尾。
作中では、剣心も斎藤一の結婚に驚いていましたが、妻の名前も公表しておりここも史実通りです。
警視局に登用された後も、持ち前の剣術を評価され、師範を務め、西南戦争にも抜刀隊として携わりました。
最後は、東京女子師範(後のお茶の水女子大学)で事務職を務め退職。
72歳でこの世を去ります。東京で亡くなった斎藤ですが、本人の強い要望により、お墓は福島県会津若松市にある阿弥陀寺に建てられ埋葬されました。
参考文献:新選組468隊士大名鑑 完全版
斎藤一は牙突を使っていたのか?
牙突という技は、使っていません。
※「牙突」は実在の技ではありません。
引用元:るろうに剣心7巻P166
出版社:集英社
実際に斎藤一が得意としていた技は『左片手平刺突』。
この『左片手平刺突』を漫画風にアレンジさせたのが牙突です。
得意技は明らかになっているのですが、斎藤一の流派は不明。
るろうに剣心での斎藤一の流派は、溝口一刀流となっていますが、あくまで諸説あるうちの中から設定したようで、実際の斎藤一の流派は明らかになっていません。
愛用していた刀は?
斎藤一が愛用していたとされる刀が2本あります。
1本目が天満屋事件で使ったとされる関孫六(せきのまごろく)。
長さは二尺五寸弱。※約95cm
2本目が池田屋事件のときに使われた、鬼神丸国重(きじんまるくにしげ)。長さは二尺三寸。※約87cm
特上模造刀 斎藤一拵 鬼神丸国重(きじんまるくにしげ)◆新選組 新撰組 居合刀 美術刀剣 模造刀 模擬刀 美術刀 日本刀 刀 刀剣 コレクション 撮影用 観賞用
作中でも、斎藤一が使った刀が明らかになっており2本とも登場。
剣心の逆刃刀や志士雄の無限刃と比べると、普通の日本刀なので、あまり特徴はないように感じますが、2本とも
- 斬れ味が良い
- 頑丈で折れにくい
実践で扱うには最高の一振りと言われるほどの名刀です。
参考文献:歴史人 2020年 06月号
るろうに剣心で実在のキャラクター斎藤一は忠実に再現されていた
斎藤一は漫画のキャラクターとして、多少アレンジはされていますが、
- 新撰組の中でも剣術の高さ
- 明治以降、警察庁勤務
- 名前を藤田五郎に変更
- 使われていたとされる刀
- 牙突は斎藤一の得意技『左片手平刺突』をアレンジ
と、意外にも史実通りにキャラクターを設定されていることがわかりました。
新撰組として、武士として覚悟を決め、会津藩で最後まで戦い、己の正義を貫いたところも再現されているようで、非常にカッコイイ生き様でしたね。
るろうに剣心北海道編では、二番隊組長永倉新八も登場しストーリーにもかなり深く関わってきます。
歴史的事実と照らし合わせてるろうに剣心を読んでみると、また違った観点から作品を楽しめることができますよ。