オリエンタルラジオは現在、コンビ間の活動は少なくなっていますが、個人での活躍は凄まじいものがあります。
中田さんはYouTubeで、チャンネル登録者数300万人を突破。
アパレル・オンラインサロンの運営も手掛けています。
藤森さんは、
- お笑いタレント
- 俳優業
- YouTube
と、多彩に活躍を見せています。
オリエンタルラジオが世に出るきっかけとなったのは、元祖リズムネタとも呼ばれている『武勇伝』。
NSC在学中にも関わらず、M1グランプリで準決勝までいくという、結果を残します。
当時、NSC生だったオリエンタルラジオが、どうやって『武勇伝』を作り上げたのか調べてみました。
今回の記事でわかること。
- 『武勇伝』が、どうやってできたのかわかる
- オリエンタルラジオが、1発屋で終わらなかったのかわかる
では早速、紹介していきますね。
オリエンタルラジオの【武勇伝】完成秘話!
『武勇伝』ができるまでの流れを、サクッとまとめてみました。
- 100本のネタを用意
- 自信はなかったがネタみせで出すことに
- 講師が可能性を感じる
- 試行錯誤し『武勇伝』に
順を追って解説していきます。
100本のネタを用意
中田さんはNSCに入学したときに、すでに100本のネタをストックしていました。
NSCでは授業の出席率や態度ではなく、ネタで評価が決まるからです。
ネタ見せのときに、最高のパフォーマンスを出せるように、あらかじめ100本のネタを準備しておいたのです。
自信はなかったがネタ見せすることに
普通の漫才では、講師の人にハマらなかったからです。
オリエンタルラジオは、普通の漫才のスタイルでした。
もちろん練習もしっかりしていたので、悪い評価ではなかったそうです。
しかし、他のNSC生と比べて、形にはなっているという程度。
さらに、100本あったネタも徐々に減っていき、少し焦っていました。
そこで、藤森さんが後に『武勇伝』となるネタを、披露することを提案します。
『武勇伝』の前は、『中田伝説』。
しかし、中田さんは、あまり気に入っていたネタではありませんでした。
なぜなら、しっかりとした漫才ではなかったからです。
漫才のスタンダードな形は、
ボケる→ツッコむ
ですよね?
『中田伝説』は、
中田さんが伝説を言う(ボケ)→藤森さんが称賛する
と、いった形。
中田さんはノリ気ではありませんでしたが、とりあえず『中田伝説』を披露することにします。
講師が可能性を感じる
講師の方の感想は、
「これは、やっていけば、なにかあるかもしれんな」
引用元:幸福論:P 148引用 出版社:徳間書店
でした。
中田さんは、意外な反応にかなり驚きました。
なぜなら、怒られると思っていたからです。
吉本は、かなり漫才を大事にしているので。
というか、漫才ともいえないようなネタですし。
しかも藤森さんは、楽しすぎて、かなりふざけている状態。
しかし、講師の方からは、中田さんに
「君だけ、なんかノリ悪いんじゃない」
と、言われる始末。
しかし、講師の方のおかげで、ネタを改良していくという作業に入っていきます。
試行錯誤し【武勇伝】に
ネタの改良部分は、下記の通りです。
- リズムを良くする
- 歩き方から身振りまでダンスのようにする
- 決めゼリフ・決めポーズを設定
- しゃべり方はラップ調
改良を重ね、ネタ見せをした日。
NSC生は、大爆笑。
講師からは、M1でもいいところまでいけると評価されました。
オリエンタルラジオは【武勇伝】で大ブレイク!
『武勇伝』でブレイクしていった流れを、ザッとまとめてみました。
- 初のM1グランプリで準決勝進出
- 吉本が∞ホールを作る
- ゴールデンで冠番組を複数もつ
順を追って、解説していきます。
初のM1グランプリで準決勝進出
講師の方の言うとおり、オリエンタルラジオはNSC生にして、M1グランプリ準決勝まで勝ち進みます。
おかげで、オリエンタルラジオの知名度も上がり、NSC卒業後にはテレビの出演も決まっていきました。
吉本が∞ホールを作る
オリエンタルラジオが、毎日ライブをやるためです。
『武勇伝』は、大ヒット。
オリエンタルラジオも人気が出てきたため、毎日ネタをできる場所を、会社が作ってしまったのです。
1組のコンビのために、舞台ができたと考えると、かなりの人気・期待があったのがわかりますね。
ゴールデンで冠番組を複数もつ
当時の冠番組は、下記の通りです。
- オリキュン
- オビラジR
- 週刊オリラジ経済白書
などになります。
レギュラー番組も含めると、10本以上。
ちなみに、ゴールデンでテレビの冠番組を1番早くもった芸人は、オリエンタルラジオになります。
【武勇伝】も長くは続かず
『武勇伝』で大ブレイクしたオリエンタルラジオですが、長くは続きませんでした。
- 冠番組が全て消滅
- ひな壇に出るも活躍できず
1つずつ解説していきます。
冠番組が全て消滅
事務所の後押しもあり、オリエンタルラジオはMCで活躍されるよう期待されます。
しかし、
- 芸歴が浅い
- 出演する、先輩タレントに気を遣ってしまう
などもあり、番組を上手く作ることができませんでした。
オリエンタルラジオは、デビューして3年ほどで冠番組は全て終了。
レギュラー番組も、なくなってしまいました。
ひな壇に出るも活躍できず
今まで、MCをやっていたため、ひな壇の振る舞いがわからないからです。
ある特番に出演したときです。
くりぃむしちゅーの上田さんに話を振られるも、勝手がわからず、いきなり『武勇伝』を披露。
求められていたコメントとは違いすぎて、上田さんにも軽く流されてしまいました。
華々しいデビューを飾ったオリエンタルラジオですが、テレビではかなり苦労したようです。
オリエンタルラジオ藤森のチャラ男ブーム到来!
藤森さんが、チャラ男で大ブレイクします。
きっかけは、タモリさんです。
当時、オリエンタルラジオは『笑っていいとも!』のレギュラー。(最後に残ったレギュラー番組。)
藤森さんは、タモリさんと仲良くなりたいため、メイク室でよく会話をするようにしていたそうです。
そこで、タモリさんに
「中身なんにもないよな。」
「お前ペラッペラだな。」
「お前チャラ男だろ」
と言われ、チャラ男認定されます。
藤森さんは怒られていると思いきや、
「それ面白いんだから、もっと出していけよ」
と言われ、藤森さんはチャラ男キャラを確立。
そして、たくさんの番組に出演。
以降、中田さんも
- プレゼン能力の高さ頭の良さ
- 地頭の良さ
を生かし、個人での活躍が目立つようになります。
結果、オリエンタルラジオとして長期に渡って活躍することができました。
オリエンタルラジオ【武勇伝】まとめ
今回の記事をまとめると、『武勇伝』は、
- ネタ100本のうちの1本だった
- 試行錯誤を繰り返し、『武勇伝』が完成
『武勇伝』で大ブレイクするも、
- 冠番組は全滅
- ひな壇でも空回り
と、かなり苦労していました。
レギュラー番組がなくなるも、藤森さんがチャラ男として大ブレイク。
中田さんも自分の持ち味を生かし、オリエンタルラジオは活躍の幅を広げていきました。
最近ではやらなくなってしまいましたが、オリエンタルラジオ2人の『武勇伝』は、増えていきそうですね。
いかがでしたでしょうか?
今回は、
『オリエンタルラジオの【武勇伝】完成秘話!後に1発屋になりかけるも…。』
を、紹介させていただきました。
ぜひ、参考にしてみて下さい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!