地位も名誉も富も!この世の全てを手に入れた平清盛!

偉人にインタビュー⁉︎

旧石器時代から現在の令和時代までさまざまな出来事が起こった日本。その歴史は、数々の人によって動かされてきました。もし、日本史の教科書で紹介されるような人物に、今、話を聞いたら何を語るのか? そこで、伝えられてきた偉人のそれぞれのイメージと実績がわかる、インタビュー風の記事を作成。

今回登場してくれたのは“平清盛”さんです!

1118年、平忠盛の子として生まれる。
1159年、平治の乱で藤原信頼と源義朝に勝利。翌年、武士として初の公卿(くぎょう)になる。
その後しばらくして、太政大臣に就任。数カ月で辞任するが、院政を始めて実権は握り続けた。



平清盛にインタビュー!

みくる✤

インタビューよろしくお願いします。

平清盛

よろしくどうぞ。インタビューなんて初めてだからお手柔らかに頼むよ。

みくる✤

そうなんですか。てっきり慣れているのかと思ってました。

平清盛

いやいやそんな(笑)。でも、どうしてそういったイメージを?

みくる✤

清盛さんといえば、「平家にあらずんば人にあらず」と言ったことが有名なので。

平清盛

今だと「平家でなければ、人じゃない」みたいな意味だね。そういったニュアンスで言ったかというと、正直ちゃんと覚えてないな。もしくは、変に言葉を切り抜かれたか。とはいえ、だいぶ傲慢だな(笑)。
でも、当時の私は物事がうまく進みすぎて有頂天だったから、言っててもおかしくないかもしれんな。

みくる✤

というと?

平清盛

武士として初めて上位の貴族である公卿(くぎょう)になってね。その後は、朝廷の最高職である太政大臣に。平氏政権というか武家政権の基礎的なことは私がつくったと自負してるよ。
ただ、全てうまくいったのは、環境やタイミングに恵まれていたこともあったね。

みくる✤

詳しく教えてください。

平清盛

実は、私の祖父と父の代でも数々の功績をあげていて、白河上皇や鳥羽上皇に仕えて高い地位にいた。さらに、宋、当時の中国との貿易もうまくいき、莫大な資産まで築くことに。つまり、私がリーダーになる前から平氏はかなりの力を持っていたんだよ。

みくる✤

地位も名誉も富も全て。

平清盛

そう。で、父が亡くなり私がリーダーになったタイミングでちょど平治の乱が勃発。そこでライバルの源氏に勝利し、この戦いの結果によって力を持っていた藤原家が衰退。自ずと権力は平氏に集中することになってね。

みくる✤

全ての歯車が噛み合っている。

平清盛

私にとっては、まさに棚からぼたもち。数えきれないほど落ちてきたね。でも、浮ついた気持ちでいると足をすくわれるから、みなさんはお気をつけて。

平家といえば有名なことわざも……

驕る平家は久しからず」。栄華をきわめて、おごり高ぶる者は、長く栄えることはできないという意味です。事実、平家が繁栄したのは約20年と決して長い期間ではありませんでした。
しかし、この平氏政権を境に、さらに武士が活躍することに。新しい時代に突入していく瞬間とも言えるでしょう。

また、異例の出世を遂げた平清盛。実は、そのときの権力者である白河法皇の隠し子だったからだとか。

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