■偉人にインタビュー⁉︎
旧石器時代から現在の令和時代までさまざまな出来事が起こった日本。その歴史は、数々の人によって動かされてきました。もし、日本史の教科書で紹介されるような人物に、今、話を聞いたら何を語るのか? そこで、伝えられてきた偉人それぞれのイメージと実績がわかる、インタビュー風の記事を作成。
今回登場してくれたのは、あの有名な歌を詠んだことでも知られる藤原道長さんです!
山城國(現在の京都府)出身。先祖は藤原鎌足(旧姓は中臣鎌足)。藤原家の北家に生まれる。
一族権力争いに勝ち、摂政、太政大臣に就任。娘を天皇と結婚させて、外戚になることでさらに権力を集めた。
そして、貴族の頂点に君臨。このとき詠んだ「望月の歌」は現代の教科書でも紹介され、時代を超えたヒットソングとなった。
桓武天皇にインタビュー!
プロフィールによると先祖が中臣鎌足さん改め、藤原鎌足さんだとか。

はい。天智天皇から“藤原”の性を与えられたということを聞いています。
で、奈良時代になると四家にわかれたそうです。
四家?

同じ藤原家ではあるんですけど、北家、南家、式家、京家と、4つに分かれているんです。元を辿れば同じ一族ではあるんですけどね。
協力するときもあったみたいですが、場合によっては争いも起きていました。
ちなみに道長さんは、どこの家の出身なのですか?

北家になります。私が生まれた頃にはすでに、北家は天皇の外戚として太政大臣や左大臣、摂政、関白など役職を独占していました。
すごい家に生まれましたね。

ただ、私は五男として生まれたので、一家を受け継ぐ立場ではなかった。正直、生まれた順番で決められる風潮には不満を抱いていました。
基本的には長男が継ぐかたちになるのでしょうか?

そのパターンが多いですね。だから、自分には関係のない話だと思っていたんですが、それがまさかの事態に。
というのも疫病が流行し、長男、次男が○亡。これにより、私が家を継げる可能性が出てきたわけです。
まさかの展開。

このチャンスは逃すまいといろいろ準備に準備を重ね、娘を天皇家に嫁がせることに成功。しかも、1人だけではなく4人も。まさか、あそこまでスムーズに結婚が決まっていくとは。私自身思い通りにことが進みすぎて怖かったくらいです。
しかし、身内が4人も皇族と結婚するとは……。

娘たちは、私に元気な孫まで見せてくれました。おかげで、天皇や皇太子のおじいちゃんになれたわけです。
そして、天皇の後見役である摂政として政治に携わることに。あのときの私には、怖いものなど何一つなかった。悔いを残すこともなく、最高に人生を謳歌することができました。
人生の絶頂期に詠んだ「望月の歌」
娘が天皇に嫁ぐことになり、それを祝う宴の場で道長が詠んだ有名な歌。
「この世をば わが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」
この歌は、満月が完全な円であるように、この世も完全に自分の世だという意味。「望月の歌」は宴に参加したみんなで唱和したそうです。